愛と死に囚われている

僕にはここ数年、ずっと考え続けているというか、ずっと頭から離れないあるテーマがある。もちろんそのテーマだけが頭に思い浮かぶわけではないし、もちろんそのテーマについて毎日想いを飛ばせているわけでもない。せいぜい1日に1度とか、あるいは1ヶ月に1度とかの頻度で思い出して、時折思索してみる程度だ。スパンにこうもばらつきがあるのに、けれど年単位で見れば、数年考え続けていることになる。これこそが、僕が表題において「囚われている」とした所以だ。

そのテーマこそがそう、「愛と死」である。

 僕は相反するものが好きだ。対照的なものが好きだ。

わかりやすく音楽で言うと、疾走感のあるロックなバンドサウンドに、絶望的な歌詞が載せられている、といったようなものだ。

それは憂虞と恍惚とが、断続的に、入れ替わり立ち替わり押し寄せる。

「愛と死」のテーマについては、これまでそれぞれを独立させて考えていた。しかしここで、新しい見方として、これもまた同様に対になる2つの概念なのではないかという考えが思い浮かんだ。その意味で捉えるならば、「愛」とはそのまま「生」と読みかえて差し支えないだろう。

「生きることとは、愛することだ」と言いたいわけではない。これにはかなりの語弊があるし、生理的嫌悪や反感を覚えるものもいるだろう。

「愛とは生の証明である」という意味である。この場合の「愛」とは、言うまでもなく「Love」の意味にとどまらない。

これについては、これ以上語っても不毛なだけだろう。