速読という病

書店に行くといつでも、速読術に関する本が並んでいる。ネット記事でも、速読について言及しているものが多く見られる。

このことからわかる通り、本を読む人というのは往々にして、1冊の読書にかける時間を短くしたい、と思う傾向があるようだ。

何を隠そう僕も、かつてそう思い、速読を学んでみた人の1人なので、今日はその話をしたいと思う。かつて、と過去形で語ってみても、やはり今でもその気持ちは少なからず残ってはいるけれど。まあ、時間かけてもいいんじゃない、って話。

 

速読術というのは、主に2つの要素から成り立っていると思ってもらっていい。

まず1つは、目の動かし方。(目をいかに動かさないか)

もう1つは、その分野に関する予備知識の量である。

 

目の動かし方について。

普段本を読むときには、文字を1字ずつ目で追いかけて、それを頭の中で音にする、という人が多いと思う。ここには2つの無駄がある。

1つは、頭の中でわざわざ音にしていること。これをやめるだけでも読むのがけっこう早くなるが、ここではこれ以上触れない。なお、僕は大体今でも音にして読んでいる。

もう1つは僕たち人間の視野は、1度に1字だけしか捉えられないほどに狭くないということ。だから、1字よりもっと範囲を広げて捉えることが可能だ。例えばまずは単語ごとに捉えるようにしてみて、それに慣れたらやがて文節ごと、行ごと、ページごと、と範囲を広げて捉えることができるようになる。目をいかに動かさないか、とはそういう意味である。

練習していけば、目をあまり動かさずに、そのページにどんな内容が書いてあるのかが掴めてくる。もちろん読書の速度は飛躍的にあがる。

しかし当然これは、本の細かい味わいを殺してしまう。

 

 

予備知識の量について。

前回のブログでも触れたが、その分野に関する知識を既に持っていれば持っているほど、それに関する文章についての認知的不可は小さくなる。これによっても読書の速度はグンとあがる。しかしこれは前回も言及した通り、新たに得られる情報が少ないという意味に他ならない。

既に読了した本について、後から必要な情報を拾うためならこれはまあまあ有用とも言える。

 まあまとめると、一長一短ってことですかね?