今週の面白かったこと #1

見つけた面白い記事とかの備忘録。

毎週火曜日くらいに更新。

 

今回はだいたいこんな感じ。

一本目だけやたら長くね? 暇な人だけ読んで。

漫画における記号的表現とその周辺

ゲンロンβ39 さやわか 記号的には裸を見せない ――弓月光と漫画のジェンダーバイアスについて

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%CE%B239-%E6%9D%B1%E6%B5%A9%E7%B4%80-ebook/dp/B07VCK5QX6

ある女性漫画家が、自身の作中で登場人物に「ジェンダーバイアスのかかった漫画は滅びればいい」と語らせた。

これについて同氏の主張をざっとまとめると、だいたい以下のとおりだ。

性別に基づく偏見(男らしさや女らしさという概念)が、悪意すらもなく、偏見と意識されずに少女漫画・女性漫画の中で垂れ流されている。作家や編集者が、無意識のうちに偏った正意識で物語うを作ろうとすることを問題視している。

しかしこれには当然、以下のようなレスポンスがついた。

同氏の漫画は「美しい女性」を絵として描いている。それは「女らしさ」を利用していることにはならないのか?と。

これに対して、記事の著者であるさやわか氏は、こう述べる。

漫画は元来、記号性を重んじて成り立つ表現だ。この記号とは、わかりやすいやすいところで言えば「顔の上に雫のマークを描いたら、その人物は焦っている」というようなもの。

漫画は「こう描かれたら(記号表現)、こういう意味だ(記号内容)」という体系を歴史的に築いてきた。その中には「イケメンはアゴが長い」「ツインテールは幼さのある女性」「壁ドンは恋愛における押しの強さを示す」など人物の特徴を表すものから、「あだち充が描く、後ろを向いて片手を上げたキャラクターは去って行く」など状況や行動を意味するものまであり、漫画家は画面上にそれら記号を配置して作品を作る。漫画が記号的であるとは、極論すれば漫画が「絵」で描かれていながらも「文章」のよう に、記号の連なりとして読めることなのだ。

そしてその記号表現は、上記の引用の通り、文脈としてのそれも含まれている。今やそれは読者の間にも共有されており、だからこそ私たちはよりストレスレスに読書体験を得られる、というわけだ。

もう少し直感的にわかりやすい例を出そう。先日Twitterで、こんな漫画を読んだ。

https://twitter.com/hiyokobeya/status/1165532708878995456

画像2枚目まで読んだ時点で、多くの読者は「あっ、これ嫉妬して突っかかってくるやつだ!」と感じるだろう。そう感じることこそが、私たちが漫画の記号表現を共有していることの証左だ。(最もこの作品は、その記号表現を逆手に取っている)

 

記事の紹介はひとまずここまで。

弓月光さんを例に出して、議論はより面白い方向に進んでいくので、気になった人は購読すべし。

 

さて、このような前提を共有した上で、もしジェンダーバイアスを完全に排した漫画を作ることは可能だろうか?

まず外見的特徴を利用するのはいけない。そもそもオスとメスの区別もないほうがいいだろう。性別の概念がない、空想上の生き物たちに物語を展開させればいいのかもしれない。いや、その場合でも我々は、彼らの行動に「男らしさ」や「女らしさ」を感じ取ってしまうだろう。

 

認知心理学のとある実験がある。詳細や固有名詞は忘れたが、以下のようなものだったと思う。

被験者たちにある動画を見せる。画面の中では、△や□などの記号が動いている。□は画面の中を自由に動いているのに対し、△はそれよりも早いスピードで、□をめがけてぶつかっていく。動きの遅い□は△から逃れることができず、されるがままになっている。

ただそうプログラムされただけの動画で、そこに感情の類は発生していない。しかし驚くべきことに、被験者の多くは「△が□をいじめているように」思い、それどころか「□が可哀想」とさえ感じたという。

このように私たちの脳は、そもそも存在しないもの(この場合では感情)さえも、自分の中に持っている「記号表現」にあてはめて判断してしまうのだから、いくら制作者がバイアスを取り除こうとしたところで、結果につながるとは言えなさそうだ。

 

「男らしい行動」「女らしい行動」なんてものがあるの?という問題も、一応潰しておこう。代表例を上げると「女は買い物が遅い」というもの。これは偏見ではなく統計学的事実で、以下のような証拠もある。

原始の時代、男たちがケモノを狩っている間、女たちの仕事は木の実を集めることだった。男たちの行動には「狩ったら終了」という明確なゴールがあるが、女たちのそれには存在しない。みんなで探して、見つけた順に手当たり次第に拾っていくのみだ。男が「目的型」なんて言われるのは、このあたりに由来する。

 

ゲンロンβ39のこの記事、議論が成熟して行き着く答えもめっちゃ面白い。みんな読もう。

宇宙空間で初の犯罪容疑?NASA飛行士、口座不正侵入か

https://mainichi.jp/articles/20190825/k00/00m/030/023000c.amp

宇宙で犯罪ってすごくない? こういうミステリ小説が今後出そう。

ってかもうあったりする? 清涼院流水とかやってそう。読んだことないけど。偏見。

 

ざっくり調べてみると、取り決めは以下の感じっぽい。

国際宇宙法によると、宇宙空間での犯罪行為は、ISSに登録しているものについては、登録元の国の法律が適用される。ようするに、今回の容疑者はアメリカに属しているから、アメリカの法律が適用される。逆に言えば登録していない人やものについては、適用できる法律は今のところなさそうだ。密出星したら犯罪し放題。

もし他国の搭乗員と揉めた場合、政府間協議での解決をはかると。

解説してるノートみつけた。

https://note.mu/47tplo_181023/n/n6be0d9ffc8a9

「キャラクター小説」というイノベーション

https://monokaki.everystar.jp/column/heisei/989/

メフィスト賞という小説新人賞がある。初期には京極夏彦森博嗣を、中期には舞城王太郎西尾維新辻村深月を、最近では早坂吝や井上真偽など、そうそうたる作家陣を排出する、とがった新人賞だ。

どれもクセの強い作家ばかりで、小説のあり方を変えてしまうほどの影響力を発揮した作品もある。その中でも、京極夏彦森博嗣について解説したのが、当記事だ。

森博嗣はデビュー当初、大型新人にありがちな「人間がかけていない」の洗礼を浴びる事になる。今ではもう少し多様な意味を持つその言葉だが、森博嗣のそれに関しては、確かにそのとおりの意味で「人間がかけていな」かったのだ。もちろんこれはよく知られているように、森博嗣はこれを意識的にやっている。登場人物の「キャラクター化」を完成させた第一人者が、森博嗣京極夏彦だと言っていいだろう。そしてこれを他ジャンルの文脈と融合させ、昇華させたのが、西尾維新である。

キャラクター化という先進的なギミックは、当時にしてみれば確かに「人間がかけていない」ように映ったことだろう。

「魔女のコミュニティ」はオンラインに移行中──SNSも使いこなす現代のルーマニアの“魔女”たち


https://wired.jp/2019/06/23/romanian-witches-internet/#galleryimage_491176-3493_1

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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190825-00000000-jct-ent