不完全に惹かれる僕たち
少年マンガの主人公は、必ず能力と引き換えに致命的な弱点を持っている。
完璧な人間より欠けている人間のほうを「人間味がある」なんて言ってより強い好感を持つ。
初めから出来る成功より、失敗を積み重ねた先の成功により価値を感じる。
あるいは、整いすぎた顔立ちの美人を、「怖い」だなんて評価する、とかも似ているだろうか。
僕たちはそのように、完全なものよりむしろ不完全なものを好むことがしばしばある。
なぜだろう? 常に良い状態を保つほうが、定量的な評価では明らかに優れている。幸福の総量も、そちらのほうが多いだろう。
常に良い状態だと、いつしかそれが普通だと錯覚してしまうからだろうか。
(確かに現象の中にいながらにして、その限界を想像することは難しい)
それもあるだろうが、本質はもう少し違うところにあるのではないかな、と思う。
それはつまり、僕たちが評価するのは、量ではなく加速度であるということだ。
ブランコを想像してみるとわかりやすい。
あなたにとって1番プラスな状態が、ブランコが1番前に触れている時。1番後ろに触れている時が、反対に1番マイナスな状態だ。
最も前にいる瞬間というのは、前に働く力と後ろに働く力が吊りあっているから、加速度はゼロになる。
この加速度が1番大きくなるのは、量がゼロの地点。
プラスがマイナスに、マイナスがプラスに転じる瞬間だ。
そしてどうやら僕たちの感情の大きさは、この加速度に比例しているようだ。
より大きなプラスを得るには、より大きくマイナスに触れる必要がある。
より高く飛ぶためには一旦沈む必要があるとか、助走をつける必要があるとか、そういう話とはまた別だが。